「・・・あたしな、あの子に、友達を作ってあげたいんだ」
鈴の言葉に、小毬は驚いて目を見開いた。
あの子の友達になる。きっとそれが鈴の目的だと思っていたから。
だが、鈴のそれは小毬の、いや、おそらくはリトルバスターズの全員の予想を遥かに上回っていた。
「一人はつらいんだ。二人でも寂しい。皆がいないと楽しくないんだ」
「鈴ちゃん・・・」
「あたしは、それをどこかで思い知った。同じ思いなんて、誰にもして欲しくないんだ」
その『どこか』のおぼろげな記憶は小毬にもある。
癒えない傷を、大切な思い出に変えてくれた『どこか』の微かな記憶が。
「・・・でも、どうして一人でがんばるの?」
鈴はその質問に困ったような顔を浮かべ、
「・・・えっとな」
「うん」
「すごく嫌なことが、あった気がするんだ」
「え?」
鈴は顔を曇らせて、続ける。
「自分がどうしたいのかわからなくて、誰かに聞いて、その誰かの言うとおりにして・・・、それであたしは、すごく嫌な目に、あった」
「・・・鈴、ちゃん?」
「よく覚えてない。夢だったのかもしれない。でも、忘れちゃいけない夢のような気がする」
独白のようにそう言い、顔を上げる。
「だから、今度は自分で決めようと思ったんだ。自分で決めて、自分で何かをしようって。今までやったことなんて無いけど、やってみたい」
「・・・うん!」
小毬は鈴の手を握って、頷く。
「大丈夫だよ、鈴ちゃんならきっとできるよ!」
「そ、そうか?」
「うん、ぜったいだいじょ〜ぶ、だよ!!」
「う、うん、こまりちゃんが言ってくれればきっと大丈夫だ!」
鈴は頷き返して、
「ようし、あたしは頑張るぞ!」
「うん、がんばろー!」
それが、あの時鈴が小毬に伝えた、自分がやりたいことだった。



「今日も来てるんだ、あの子」
 理樹はまた中庭を見下ろせる窓から、鈴と『りん』のやり取りを見つけた。
「ふむ。だいぶ自然になってきたな、鈴君も」
 唯湖の言葉どおり、鈴も『りん』も普通に笑ったりしている。
 考えてみれば、恭介や理樹が関わらずにできた友達としては、彼女が最初かもしれない。
 理樹は微笑んで、窓際から離れる。
「む、どこへ行くんだ、理樹君」
「図書館。僕も鈴から卒業しないといけないからね」
「ふむ。それはその手に持っている本と関係があるのか?」
 理樹は抱えていた本に視線をやる。
「・・・うん。自分がやりたいこと、ちょっと見えてきたから」
「そうか。いいことだな」
「ありがと。じゃあ、また後で」
 唯湖はその場から歩いていく理樹を見送って、また鈴のいる中庭を見下ろした。
「やりたいこと、か。私にもあるのだろうか」
 進路。一足先に恭介が進もうとするその先。
 彼女は少し物憂げになって、一息ついた。

「よう、鈴」
「うわ、恭介!!」
「・・・!?」
 中庭に訪れた恭介の前で鈴が慌てて猫から離れ、その行動に『りん』がびっくりする。
「・・・なあ鈴?」
「何だ!」
「何で俺からその子を隠すようにするんだ?」
「自分の胸に手を当てて考えろ!」
 恭介は思いっきり頭を抱えた。
「お、俺は(21)じゃねぇ・・・!!」
「うっさい変態!」
「・・・?? おねえちゃん、あの人変態さん?」
「う、うおおおおおお・・・!!」
 『りん』の一言が胸に突き刺さったのか、崩れ落ちそうになる恭介。
 が、何とか持ちこたえると、
「・・・鈴、クドが探してたぞ?」
「何?」
「それが用件だ・・・。はは・・・、どうせ俺は変態さ・・・、ちくしょう、ロリロリハンターズ最高ー、いえーい・・・」
 ふらふらと立ち去っていく兄の背を見送る二人。
「・・・おねえちゃん、あの人、苦しそう」
「・・・む」
 鈴は『りん』に言われて少しバツが悪そうにすると、
「ちょっとまてきょーすけっ」
「何だよ?」
「クドが探してるんだろ? あたし行ってくるから」
 それから、『りん』を見ると、
「そういうわけだ。えーと、変態っぽいが一応あたしの兄だ。大丈夫だ、たぶん」
「たぶんって何だおい!?」
「・・・・・・」
 『りん』は恭介を見て、それから鈴を見て、躊躇いがちに小さく頷く。
「すぐ戻ってくるっ」
 駆けていく鈴を見送って、『りん』は隣に来た恭介を見上げた。
「まぁ、そういうわけだ。お姉ちゃんが戻ってくるまではお兄さんが話し相手になるぜ」
「・・・」
 にかっ、と笑う恭介を『りん』は無表情で見上げる。
 が、恭介にしてみればこの手の表情は慣れている。鈴で学習済みだ。
「そんな不安そうにするな。そうだな、とりあえず、名前何ていうんだ?」
「・・・・・・りん」
「りん? お前も、『りん』って言うのか?」
 『りん』は頷く。恭介は少し困って、頭を掻いた。
「参ったな、じゃあ呼ぶとごっちゃになるじゃないか。えーっと、ちびりん、じゃだめか?」
「ちびじゃない」
「だよな」
 子供っていうのはあからさまな子ども扱いを嫌うものだ。
「じゃあ、りんりん」
「やだ」
「・・・りんつー?」
「変」
「ちーりん」
「ちびじゃない」
「むう」
 恭介は腕を組んで考え込むと、
「妥当なところで、りんちゃん、で良いか?」
 『りん』はこくりと頷く。
「んで、だ。りんちゃんは前からここ、来てたよな?」
 ファーブルのお腹をなでながら、『りん』は頷く。
「猫、好きか?」
「・・・・・・」
 何故か手が止まった。しばらくしてから、
「・・・嫌いじゃ、ない」
「そか」
 恭介は笑う。なるほど、鈴によく似ている。
 猫好きな所を素直に人に見せられる分、鈴よりは多少素直なようだが。
「・・・お兄ちゃんは?」
「・・・・・・お、おう?」
 呼ばれ慣れない呼び方に一瞬フリーズした。
「猫」
「ああ、猫か。うん、好きだな」
 言いながら、ぼてーっと横になっているドルジの背中を叩く。
「こいつら結構気まぐれだけど、甘えてくるとすげー可愛いよな」
「・・・・・・」
 『りん』もその言葉に頷く。と、
「わ」
 『りん』の頭が下がった瞬間を見逃さずに、レノンがひょい、とその頭の上に飛び乗った。
「・・・・・・」
 頭の上でレノンが「にー」と鳴く。『りん』はそれを聞いて困ったような顔になる。
 恭介はそれを見て、必死に笑いをかみ殺した。
「ただいまだっ」
「お、鈴、お帰り」
「・・・おかえり」
 息を切らせて戻ってきた鈴に手を振って答える。
「クド、何だったんだ?」
「貸してた英語の辞書を返してもらってた」
「なるほど」
 ふと気になって、校舎の窓を見上げる。
 唯湖がぼーっとこっちを見下ろしているのが見えた。
 こちらが見ているのに気づいたのか、軽く手を上げてみせる。
「どうしたんだ?」
「いや」
 恭介は笑いながら、未だにレノンを頭に乗せて固まっている『りん』を見て、
「・・・よし」
 手近にいたヒョードルを抱き上げる。
「きょーすけ?」
「ほれ」
「うわ、何すんだ!?」
 鈴の頭の上にヒョードルを乗せた。
「んじゃなー」
「んじゃなー、って、意味わからんわぼけぇー!」
 「にー」「うにゃー」と、レノンとヒョードルが鳴き声をあげる。
 そして『りん』は、同じように頭に猫を乗せた鈴を見上げて、
「・・・ふふ」
「うにゃ・・・」
 『りん』に笑われて、鈴はバツが悪そうに顔をしかめた。



「珍しいな、こんなとこで考え事とは」
「何だ、わざわざここまで来るとは。相当暇なのだな、恭介氏」
「放課後に暇してて悪いかよ」
 唯湖は窓際に預けていた体を起こすと、恭介に振り向く。
「一応君は就職活動中じゃなかったかと記憶しているのだが?」
「それなら朝から出かけてるよ」
 恭介は肩をすくめて、唯湖の隣に身を預ける。
「まさか、私を心配して来た、とでも?」
「いや、珍しかったからからかいに来た」
「なるほどな」
 恭介に笑いながら言われ、唯湖も苦笑を返す。
「ふむ。いい機会だから聞いておこうか」
「何だ?」
「恭介氏は、何ゆえに就職希望なのだ?」
「何?」
 恭介はその言葉に、少し視線を泳がせると、
「まぁ、早く自立したいから、ってとこか」
「ふむ」
「一人前に金稼いで自分で飯食えるようになれば、とやかく言われねえだろ? 半分はそれだ」
「半分は、というと?」
「もう半分は、なんとなくだな」
「・・・ふむ」
 唯湖はまた窓際に体を預け、中庭にいる二人のりんを眺める。
 恭介もため息をつきながら、その隣に立った。
「なるほど、不適な来ヶ谷が物憂げになるわけだ」
「そう言うな。仲間が将来を考え始めていると、多少はこうなる」
「・・・ってことは、誰か将来決めた奴がいるのか」
 と、唯湖はその言葉に意外そうな顔をして、恭介を見た。
「何だ、恭介氏は知らなかったのか?」
「何をだよ」
「理樹君だよ。私にこんな悩みをくれたのは」
「何?」
 恭介は面食らって、唯湖に振り向く。
 そのときにはもう、唯湖は視線を元に戻していたが。
「心理学に興味があるようだ。最近そんな本をよく読んでいたな」
「・・・心理学、か」
 言葉を繰り返して、恭介は苦笑した。
 理樹が心の病を抱えていたことも、遠い昔のように思える。
 だが、理樹は忘れたわけではなかったのか。
「考えてるんだな、理樹も」
「うむ」
「一年後、二年後・・・、果ては十年後。俺たちはどこで何してるんだろうな」
「さて、な・・・」



 甲高い音が響く。
「おーらいおーらいー! きゃーっち!!」
「ナイスプレー! 葉留佳さん」
「やはは、どもどもー。えいっ」
 キャッチしたボールを、葉留佳が再びベースに投げ返す。
「わふー、もう一回ですっ!」
 再び甲高い音が響く。
 たまにはポジションを代えてみよう、という案で、バッターボックスにはクドが立っている。
「ほう、やるじゃないか」
 今度は謙吾がキャッチ。
「謙吾っ」
「おうっ」
 マウンドに立つ理樹に、謙吾がボールを投げ渡す。
「それっ」
「ええぃ!」
 理樹の投げたボールにバットをかすらせ、三遊間ゴロ。
「おっしゃっ」
 真人が駆け寄り、
「ぶへっ!?」
「真人!?」
「あら」
 イレギュラーバウンドを起こして真人の顔面にボール直撃。
「わ、わふー・・・。井ノ原さんだいじょーぶですか・・・?」
「おう、こんくらい俺の筋肉にかかれば大したことねーぜっ」
「鼻の頭に筋肉はないと思うのですが」
 直撃した瞬間からカバンを漁っていた美魚が近づいてきて、
「すりむいてますね。ちょっとかがんでください」
「お、おう、すまねえ、マネージャー」
「仕事ですから」
 かすかに微笑んで、真人の鼻の頭を消毒、絆創膏を張る。
「あはは、真人君、いたずら小僧みたい〜」
 葉留佳の感想に、その場の全員が笑いながら頷く。
「うっせえなっ、ほら、クド公バット貸せっ、次は俺がやるぜ!!」
「わ、わふー・・・。ホームラン連発の気配です」
「というより、三振の山ができそうだな」
「言いやがったな来ヶ谷。よっしゃ、ホームラン連発であの子NBAでもやれるんじゃないってとこ見せてやるぜ!」
「NBAはバスケだからね、真人」
「NBAでホームラン連発だと、間違いなく二軍だな」
「のおおおおおおおおおお!!」
 頭を抱えて絶叫する真人を見て、何人かは苦笑い。
 と。
「あ、鈴ちゃん〜」
「お」
 グラウンドに『りん』を伴って鈴が近づいてくる。当然のごとく、猫達も従えて。
「この馬鹿兄貴っ、野球やるなら声かけろっ」
「って言いながら何で俺蹴るんだよ!?」
 何故か鈴の蹴りの的になった真人の抗議はあっさり聞き流しつつ。
「あ、この子、最近来てる子だよね。連れてきたんだ」
 葉留佳が目線を『りん』に合わせながら言う。
「こんにちはー」
「・・・!?」
 が、鈴の背中に隠れてしまった。
「はるか、あんまり脅かすな」
「はうっ、怒られちゃいマシタよ・・・」
「ま、三枝のKYぶりは今に始まったことじゃないけどな」
「て、恭介君までひどっ!?」
 弄られ役に回されてしまった葉留佳である。
「・・・おねえちゃん、KYって何?」
「む・・・え、えーとだな。くるがや・ゆいこのいにしゃるだ」
「鈴君。子供に間違った知識を植え付けるのは止めたまえ。KYとは空気読めない、の略だ」
「・・・そうとも言うな」
「・・・・・・」
 『りん』の疑いの眼差しから逃げるように目をそらす鈴。
「ちなみに、私は空気を読めないのではなく、あえて空気を読まない」
「いや、そこ自慢げに言われても・・・」
 理樹が唯湖に突っ込みを入れる横で、小毬が『りん』の傍まで寄ってしゃがみこむ。
「りんちゃん、こんにちは」
「・・・こんにちは」
 鈴の陰に隠れている『りん』が、笑顔で挨拶してきた小毬に小さく返す。
「って、何でこまりんには逃げないのー!?」
「あー、三枝、お前ちょっとこっち来い」
「って何、謙吾君何で引き離すのー!?」
「ああいう人見知りの子の近くで騒ぎ立てると余計おびえるだろうが」
「がーんっ、はるちん邪魔者扱い!?」
「そういう意味じゃなくてだな。あと真人もこっちだ」
「おう、何だ、俺の筋肉が必要かい?」
「ある意味でな」
 無駄に図体のでかい二人と騒がし娘が気を利かせて(実際に利かせたのは一名のみだが)その場から少し距離を置く。
「神北さんは、その子と面識があるのですか?」
「うん〜。少しだけどお話したことあるよ。ね?」
「・・・・・・」
 こくん、と頷く『りん』。
「わ、あなたも『りん』なのですか!?」
「・・・何か皆あたしと同じこと言うな」
 クドの言葉に、鈴が不思議そうに言う。
「そうなの?」
「そうだ。きょーすけも同じこと聞いたらしい。こまりちゃんも同じこと言った」
「あはは・・・、言ったねぇ」
 しゃがみ込んだまま、小毬が苦笑いする。
 理樹は頬を掻いて、『りん』に声をかける。
「んと、じゃあ、りんちゃん、でいいかな?」
「・・・うん」
「・・・・・・うう、妙に変な気分だ。呼ばれてるのあたしじゃないのに」
 頷く『りん』と、渋い顔をする鈴。
 それを見て、恭介が悪戯を思いついた顔をする。
 何故か明後日の方向を見て、
「りんちゃーん」
「・・・・・・・・・」
「?」
 『りん』は恭介が何をしているのかわからず、首をひねっている。
 理樹は恭介の行動にため息。
「恭介さんは何故あっちを向いてりんちゃんを呼んでいるのでしょう?」
「・・・すぐわかるよ、クド」
 鈴は、というと。
「・・・あたしじゃない。呼ばれてるのはあたしじゃない」
 珍しく耐えていた。
「おーい、りんちゃーん?」
「・・・き、きしょいわ馬鹿兄貴ー!!」
「ほわ!? 鈴ちゃん!?」
「おおっと、甘いぜ鈴っ」
「沸点低いよ、鈴」
 鈴の続けざまの攻撃を鮮やかに捌きながら、
「んで、鈴、お前野球どうする?」
「ん、今日はみおとまねーじゃーだ」
「そか。西園、鈴がマネージャーするらしいから、お前参加な」
「・・・それは一体どういう理屈でしょうか」
「冗談だ」
 あっさり恭介は答えると、
「よっし、練習再開といくか!」
 恭介が言い、クドと共に散っていく。小毬も続こうとして、理樹が彼女に声をかけた。
「じゃあ小毬さん、ピッチャー交代ね」
「ふええ、わ、私!?」
「がんばれ中継ぎ投手ー」
「う、うあーん、理樹君がまたいぢわるだー。・・・よ、ようしっ」
 理樹にボールを渡され、気合の入りすぎた様子でマウンドに向かう小毬。
 微笑んでその背中を見送ってから、理樹は『りん』に視線を合わせた。
「りんちゃんはどうする? やってみる?」
「・・・・・・?」
「野球」
「やきゅう・・・?」
「こんなこともあろうかと、プラスチックのバットを用意しておいたぞ」
「・・・ほんと用意がいいね、来ヶ谷さん」
 唯湖からプラスチックのバットを受け取って、理樹は『りん』に差し出してみる。
「・・・・・・」
 どうしよう、という目で『りん』は鈴を見上げる。
 鈴はその視線を受けて一瞬うろたえるが、少し目を閉じて深呼吸すると、
「りんはしたくないのか?」
「・・・・・・」
「最初はあたしもあまり興味なかったけど、やってみると面白いぞ」
「・・・うん」
 その言葉に『りん』はバットを手に取ると、
「よし、ではりんちゃん、こっちに来るといい」 
 唯湖に連れられて、バッターボックスに歩いていく。
「・・・そっか、今は面白いんだ、鈴」
「・・・・・・・・・・・う、うっさいぞ、理樹」
「別にからかうとかじゃないよ。・・・よかった」
「・・・ふん」
 鈴は赤面した顔を隠すように、美魚のところに寄っていく。
「みお、あたしは何したらいい?」
「そうですね。とりあえず、何かあるまではお茶でも飲んでいましょうか。りんちゃんから目を逸らす訳にもいかないでしょうし」
「・・・うう」
 美魚の言葉に、鈴がまた赤面して口ごもる。
 なるほど、そういう意図だったのか、と理樹は微笑む。
「理樹くーん、何してんのー!? 一塁空いてるよー?」
 葉留佳の呼び声に、理樹は慌てて一塁に走った。
「あ、ごめん、今行く」



 かこんっ、と軽い音が響く。
 『りん』のはじき返したボールが恭介の傍を抜けていく。
「やったっ」
 見ている鈴が一番嬉しそうだ。
 横で見ている美魚は微笑して、仲間たちに視線を戻す。
 カバーに入った謙吾が理樹に送球、そこから小毬に戻る。
「なるほど。小毬さんのコントロールならまずデッドボールは無いですね」
「?」
「いえ、こちらのことです」
 小毬も打ちやすい所に投げている。元々球威も高くないから、『りん』でも捉えられるわけだ。
 気づいて、美魚は微笑む。
「不干渉を徹底する、と言っていたわりに、こういう所ではやっぱり構ってしまうんですね、皆さん」
「何の話だ?」
「皆お人よしだな、という話ですよ」
「・・・よくわからん」
「ふふ」
 美魚は笑って、鈴にお茶を差し出す。
「はい、どうぞ」
「あ、うん」
 受け取って、鈴はぼそぼそと「ありがと」と口にする。
 いつものことなので、美魚も聞かなかったことにする。答えると真っ赤になってしまうからだ。
「そういえば、あの子は何故ここに来るのでしょう」
「・・・・・・あたしは、何となくわかる」
「そうなのですか?」
 ちりん、と音を立てて頷くと、
「・・・みおは、友達の作り方、知ってるか?」
「え」
 いつか小毬が受けていた質問だ。
 美魚もさすがに口ごもる。
 それはそうだろう。彼女の友達といえば、『妹』しかいなかったのだから。ここに来るまでは。
 だが、それでも少しは判る事がある。
「そう、ですね。少しの勇気、でしょうか」
「勇気・・・」
「鈴さんも、知っていることではないですか?」
「・・・・・・かもしれん」
 鈴はちりん、と頷くと、また『りん』の方に視線をやった。
 打つたびに皆が言葉をボールと共に返している。
 その中心にいる『りん』は。
「・・・楽しそうですね」
「・・・・・・」
 ちりん、と頷く。
 美魚は鈴の顔を盗み見ると、ずいぶん大人びた優しそうな顔が目に入った。
「・・・ふふ」
 友人の新たな一面に微笑み、美魚はお茶を一口。



 そろそろ六時のチャイムが鳴ろうかという頃に、理樹が練習終了を告げた。
 各々片付けに走り回る中で、葉留佳が『りん』に話しかける。
「ねーねー、ちっちゃいりんちゃん」
「・・・ちっちゃくない」
「えー・・・、じゃあなんて呼べばいいの!?」
 葉留佳が頭を抱えている。
「・・・り、りんりん!」
「変」
「うあ即効で却下!?」
「ちびりんでいいじゃんか」
 割り込んできた真人の言葉に、『りん』は言い返そうとして、
「ん?」
「・・・・・・・・・・・・」
 怯えて顔をゆがめてあたりを見回し、近くにいたクドのマントの影に隠れた。
「わ、わふ!? なにごとですかー!?」
「・・・!」
 突然マントを引っ張られ、わたわたするクド。隠れている『りん』を見つけ、納得したように頷く。
「だいじょうぶです、おねえさんが守ってあげるのですっ」
「・・・クド公がおねーさん・・・。うわ、違和感ありすぎっ」
「がーん!!」
「まぁ、クド公じゃ姉って感じじゃねーよなぁ」
「い、井ノ原さんまで・・・。わふ〜・・・」
「・・・・・・」
 落ち込むクドにどうしたらいいか判らないらしい『りん』。
 悩んだ様子で恐る恐る、ぽんぽん、と背中を叩いてみた。
「わ、わふー・・・、励ましてくれるのですかー?」
「・・・」
 小さく頷く。
「わ、わふ〜! ありがとなのですー!」
「っ!!?」
「あ〜! クド公ずるい!! 私も抱きつく!!」
「ひゃっ!?」
 思いがけない抱擁に悲鳴を上げる『りん』。
「何だ、人気者じゃないか、りんちゃんは」
 謙吾が言いながら、真人にタオルを投げ渡す。
「みてーだな」
「ほら、三枝、能美。りんちゃんも、汗吹くといい」
「あ、謙吾君ありがと」
「ありがとなのですー」
「・・・・・・」
 最後におずおずとタオルを受け取る『りん』。
 謙吾はどこか怯えた様子の彼女に苦笑すると、
「ほら真人、行くぞ」
「何だよ、何かあるのか?」
「トンボだ。お前の筋肉がないとやってられん」
「おっしゃあ、まかせとけっ」
 背を向けて立ち去っていく巨漢二人を見送って、葉留佳は笑う。
「やー、なんと言うか」
「わふー」
 笑いながら顔を見合わせる葉留佳とクドに、疑問符を浮かべる『りん』。
 隠れた気遣い屋の謙吾である。
「そーいえば、りんちゃんはよくここ来てるよね?」
「・・・・・・」
 『りん』は躊躇いつつ、頷く。
「ね、どうせなら友達とかも連れてくればいいよ。皆で遊べばきっと楽しいよ?」
「・・・・・・っ!?」
 空気が変わった気がした。
 それに気づいた葉留佳が、焦ってクドを振り向く。
「え、あの、クド公、私なんか悪いこと言った・・・?」
「わ、わふ〜・・・、わ、わかんないです・・・」
「・・・ん」
「え?」
 幼い声が聞こえ、葉留佳とクドが『りん』を振り向く。
「・・・友達なんかいない・・・、いらないもん!!」
「あ、ちょっと!」
 走っていく『りん』。慌てて葉留佳とクドが追いかけようとするが、タイミングが悪すぎて二人ともぶつかり合って転んでしまう。
「ちょ、ちょっとクド公、どいて早く!」
「ご、ごめんなさいです! あ、待ってくださいりんちゃんー!!」
 騒ぎに気づいて、他のメンバーが慌てて駆け寄ってくる。
「どうしたんだ、何があった!?」
 美魚と一緒に片づけをしていて、たまたま目を逸らしていた鈴が大慌てで詰め寄った。
「ご、ごめん、鈴ちゃん! 私なんか不味いこと言ったみたいで・・・!」
「はるちゃん落ち着いて」
「鈴も落ち着いて。恭介、真人と謙吾は?」
「りんちゃんが走っていったのに気づいて追いかけたはずだ。しかし・・・」
 タイミングが遅すぎた。暗にそう言って首を振る。
 小毬に宥められ、葉留佳はとにかく気持ちを落ち着けようとする。
「私、りんちゃんに、友達も一緒に連れてこればいいのにって、言って、そしたら・・・」
「・・・っ」
 鈴が顔を強張らせた。
 事情を知っていた小毬と、察していた理樹、恭介、美魚が鈴の様子を伺った。
「・・・ごめん、私、何でこうなんだろ・・・!」
 葉留佳がうつむいて泣き出しそうになる、その肩を。
「違う、はるかのせいじゃない。だから、泣いたりするな」
 鈴が、そっと抱きしめた。
「・・・!」
 恭介が驚いて、息を呑む。
「あたしが言わなきゃいけなかった事なんだ。言えなかったあたしが悪いんだ。はるかは、悪くない」
「・・・でも」
 と、恭介の携帯が鳴った。
「ああ、俺だ。どうだった? ・・・・・・追えたのか? ・・・そうか、なら大丈夫か」
「恭介、どうだった?」
「ああ、とりあえず、マンションに入っていくところまでは追えたらしい。なら、とりあえず大丈夫だろう」
「そっか・・・」
 家に戻っていない、という最悪の事態だけは無さそうで、理樹はほっと息をついた。
「・・・りんちゃん、はるちゃん、今日はとりあえず休もう? 明日また来てくれるよ」
 小毬の言葉に、二人は頷いた。



 翌日、放課後。
 猫と遊びつつ、鈴は校門の方をしきりに気にする。
 だが、待ちわびる影は姿を見せない。
「・・・あたしは、どうしたら・・・いい?」



「葉留佳?」
「・・・あ、おねーちゃん」
「どうしたの?」
 校門前で佇むだけの葉留佳を見咎め、佳奈多は声をかけた?
「・・・・・・うん、ちょっと」
 葉留佳の目が、校門前の道を行ったり来たりしているのに気づいて、佳奈多は小さく息をついた。
「・・・・・・まったく」
 それだけ残して、歩き去っていく。その背中に向け、小さく。
「ごめん・・・」
 それから、十数分。足が疲れて校門前に座り込んだ葉留佳の肩に、ふと何かがかけられる。
「・・・え?」
「・・・」
 そっぽを向いた佳奈多がそこにいる。
 肩に掛けられた、佳奈多がよく使っている上着を確かめて、もう一度姉に視線をやった。
「・・・お姉ちゃん?」
「風邪ひかれると迷惑なの。あなたのこと、しつこく聞かれることになるんだから」
「・・・・・・うん」
 小さく笑って、
「ありがと、お姉ちゃん」
「・・・別に、いいわよ」



 その翌日。
「・・・・・・鈴」
「・・・・・・」
 理樹の言葉に小さく首を振って、鈴はまた中庭へ下りていく。
「・・・リキー」
 クドが元気の無い声で名前を呼んでくる。
 理樹はうつむいて、考え込む。
 自分にできることを、考える。

 中庭。待ち人は、まだ来ない。

 校門。待ち人は、まだ来ない。






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