「きょーすけが帰ってきたぞー!!」
 光の絶たれた寮の一室にその言葉が聞こえてくる。
「ついにこの時が来たか・・・」
 真人は『いつものように』その言葉と共に身支度を整えた。
(こんな時間にどこ行くのさ・・・?)
 だが、いつも聞こえてくるはずのその声が聞こえてこない。
「・・・おい、理樹?」
 真人が覗き込んだ理樹のベッドには。
 光を映さない目で、膝を抱えているだけの理樹の姿があった。


「恭介、これがお前のしたことの結末だ」
 謙吾の言葉に、恭介はただ立ち尽くす。
「理樹の痛みも、鈴の涙も踏みにじった結果が、これだ」
 あくまでも冷静な謙吾の言葉。
 だが、その裏に抑えきれない感情が渦巻いているのがわかる。
「・・・何とかいったらどうだ?」
「・・・・・・」
 恭介は唇を噛み、踵を返す。
「恭介!!」
「・・・・・・っ」
 恭介は謙吾の呼び声に、足を止めると、
「・・・・・・すまなかったと言えば、満足なのか?」
「貴様!!」
「よかったじゃないか。これで、お前の望みは叶う」
 振り向かずにそれだけ言って、恭介は歩いていく。
「・・・謙吾よう」
「真人・・・」
「・・・・・・俺は、理樹の味方をするべきだったのか?」
 中立を貫く。そう誓った真人すら、壊れてしまった理樹の姿には揺らがせられてしまう。
 謙吾は、もう一度理樹の姿を見た。
 ぴくりとも動かない。
 ただ、虚空を見ているだけ。
「・・・強くすると言っておいて、理樹も、鈴も、壊して・・・。こんなことになるなら・・・!!」
 血を吐くような、その言葉。
 今の理樹には、誰の声も届かない。
 理樹と、鈴のための世界が、意味をなくしていく。
 なのに。
 この世界はそれでも、いつものように時計を刻む。
 始業のチャイム。
 唐突に理樹は立ち上がった。
「・・・理樹?」
 一縷の希望を持って、理樹に声をかけてみる。
 だが。
「・・・・・・」
 その目は、何も映していない。
 ただ、機械のように支度をして、教室へと歩いていく。
 ただ、それだけ。
「・・・ちくしょう、何だってんだよ・・・っ」
 真人ですら、壁に拳を突き立ててしまう。
 何もできない。それが、ただひたすらに悔しかった。



 鈴もまた、部屋に閉じこもって出ようとしなくなった。
 言葉らしい言葉も話すこともせずに。
 兄である自分が姿を見せても、鈴は怯え、逃げようとして、錯乱する。
 鈴の部屋の前で立ち尽くす。
「・・・わかってるさ。俺が、失敗してしまったことくらい・・・。もう、取り返しがつかないことくらい・・・っ」
 もう、どうしようも、ない。
 理樹も、鈴も、自分の声に耳を貸さない。自分の声は、届かない。
 恭介は、理樹の言葉を思い出す。
 鈴が泣いているという事。
 理樹も、鈴も、もう限界を訴えていたのに。
 まだ、早かったのだと、どこかで判っていたのに。
 焦りと過信で、自分は道を踏み外した。
 自分が、二人を壊したのだ。
「・・・ちく、しょう・・・っ」
 目が、熱い。
 それでも、泣くことは許さない。
 自分にはもう、泣く資格さえ無いのだから。
「・・・っ!?」
 唐突に、気が遠くなった。
 世界が崩れかけたのだと、気づいた。
「駄目だ、まだ。まだ早い・・・!」
 それでも。
 諦めきれない自分は、まだこの世界にしがみ付く。
 理樹にも、鈴にも、何もしてやれないのに。
 何も・・・。
「・・・なん、だ・・・?」
 バス事故の、あの瞬間の光景が自分の目にダブる。
 崩れかけ、ヒビの入った世界の影響なのか。
 だが。
「・・・そうだな。俺にはもう、手を差し伸べる資格なんて無い・・・」
 鈴の部屋のドアに背を預け、恭介は目を閉じる。
「あの二人を壊しちまった俺には、地獄行きがお似合いだろうさ・・・。けどな」
 現実への抜け道。
 3人の柱が揺らいだ今だからこそ生じた、地獄への覗き窓。
「・・・地獄だからこそ、俺にできることが、あるはずだ」
 唐突に、恭介の姿がそこから消えた。



 虚構の世界は意味を無くしても時を刻む。
 ただ一人しかいない教室。
 誰も通らない廊下。
 騒ぎ声の欠片も無い、グラウンド。
 意味をなくした世界は動くものもまた失い、理樹はその中で機械のように、学校と寮だけを行き来する。
 鈴は閉じこもったまま出てこない。
 真人も、謙吾も、ただそれを見ることしかできない。



 理樹は、暗闇の中に居た。
 失ったものの重さに、震えて。
 失っていくものの大切さに、怯えて。
 生きることそのものに、恐怖して。
 なのに、死を選べない自分に絶望して。
 理樹は、何も選べなかった。
 何かを選ぶという選択すら、選べなかった。
 立ち尽くす。
 何もできない。何もしない。何も。



 真人は、教室の席に座ったまま動かない理樹を見ていられなくなって、廊下へと出てきた。
「・・・くそ、役に立たねぇ筋肉だな!!」
 苛立ち紛れに、壁を殴りつける。
 全力でぶつけられたそれは、真人の拳に傷を刻み、壁にもまたヒビを打ち込む。
「・・・理樹の悩みが目に見える奴なら、俺の拳でぶっとばしてやれんのによ・・・!」
 傷ついた拳にかまわず、もう一度拳を振り上げようとして、
「・・・!?」
 その手が、誰かに止められた。
 後ろにいたのは、教師だ。
 黙って首を横に振って、それは立ち去っていく。
「・・・どういう、ことだよ」
 今、この世界は意味をなくしているのに。
 意味をなくしたこの世界で、動いているのはただの5人だけに過ぎないのに。



「・・・誰だ?」
 無気力に剣道場に立ち尽くしていた謙吾は、物音を聞きつけて慌てて周囲を見回した。
「・・・理樹か? 理樹なのか!?」
 ありえないと、そう思いながら、それでも物音の聞こえた方へ走る。
 剣道場の出入り口を両手で開け放つ。
 何も、無い。
「・・・気のせい、か・・・」
 自嘲気味に、呟く。
 そもそも、自分は今更何をしにここに来たのか。自嘲はそこにまで及びながら、それでも謙吾は道場に向けて振り返った。
 そこには。
「・・・な」
 竹刀を謙吾に差し出す、見覚えのある少女の姿。
「・・・古式・・・?」
 いるはずが無いのに。
 この期に及んで、恭介の差し金なのか。それとも、これは。
 いるはずの無い彼女は、静かに竹刀を謙吾に差し出BR> 「・・・俺の、願望か?」
 彼女は何も言わない。
 謙吾は意を決して、竹刀を彼女から受け取る。
 古式みゆきの姿をしたそれは、それを見届けると、にっこりと笑い、謙吾の傍をすり抜けて、道場の外へ歩き出す。
「古式!」
 あわてて呼び止めようと振り返るが。
 彼女の姿は、もうどこにも無かった。
「・・・・・・」
 謙吾は、竹刀を見つめる。
 渡された竹刀が何を意味しているのか、考える。











「理樹君」













 懐かしい声が、聞こえた気がした。
 真っ暗闇の中で、その優しい声が染み入ってくる。
 ・・・誰?
 思い出せない。

「たくさん、辛い事があったんだね」

 ・・・うん。

「苦しい思い、一杯してきたよね」

 ・・・・・・うん。

「私、知ってるよ。ずっと、見てきたから」

 ずっと・・・?

「理樹君、一生懸命頑張ってた。私、ちゃんと知ってる」

 ・・・君、は・・・。

「ずっと頑張ってたんだもん。やっぱり疲れちゃうよ、ね」

 ・・・・・・僕は。

「休んで、いいと思う。少しだけ、休んでも」

 ・・・いい、の?

「でもね、忘れないでほしいの」

 何、を・・・?

「理樹君が、私に教えてくれたこと。理樹君が、皆に教えてあげたこと」

 ・・・僕が、教えたこと?

「私、ずっと見てた。だから、知ってるよ。理樹君が、ほんとは、すっごく、強いんだってこと」




それは、唐突だった。







諦めるなと、手を伸ばし。                            .





.                  もう一度と、ただ走り。





取り戻そうと、探し続け。                                       .





.                                   信じようと、手をとって。














―――――――――笑ってほしいと、抱きしめた。







「あ・・・!」
 目の前に、少女が居た。
 なのに名前が思い出せない。大切な名前だったはずなのに。
「あ、あ・・・!」
 必死で呼びかけようとしても、言葉にならない。
 もどかしさで、涙がこぼれそうになる。
「理樹君」
 少女は笑う。嬉しそうに。寂しそうに。泣きそうな、笑顔で。
「鈴ちゃんが、待ってるよ。鈴ちゃんを助けてあげて」
「あ・・・、まって・・・、君は・・・!!」
 理樹は少女に手を伸ばす。触れれば思い出せる。そう思って。
「理樹君のこと、信じてるから」
 なのに、少女は理樹の手から逃げるように、そっと離れて。
「私、誰よりも信じてる。理樹君は絶対負けないって。だって」









    だって私が、本当に心から、好きなった人だもん













 恭介は、理樹がいるはずの教室のドアを開こうとした。
 だが、それより早く、ドアが開く。
「・・・!?」
 そこにいた誰かに、恭介は目を見開いた。
 赤いリボンが翻り、彼の傍を駆け抜けようとする誰か。
「おい、待て!」
 思わず呼び止めてしまう。
「・・・後は、よろしくお願いします」
 涙声で、背を向けたまま、彼女は言う。
 そして、走り去った。
 恭介はただ、それを見送るしかできない。
「・・・・・・きょう、すけ?」
 小さな、それでも待ち望んだ声が聞こえた。
「・・・・・・」
 理樹が、顔を上げている。
 目に、わずかに光が宿っている。
 そして、ゆっくりと理樹に近づいた。
「・・・届いたか?」
 あいつの、気持ちが。言葉には出さずに、続ける。
「・・・・・・」
 微かに、理樹の瞳が揺れる。
 何を、とは聞かない。
 理樹にはきっと、届いている。
「じゃあ、これからは、どうする?」
「・・・・・・僕、は」
 続いた言葉を聞き届けて、恭介は世界を初めに戻す。
 きっと、これが最後になる。そんな予感を抱きながら。











 どうか、あなたの目が、もう少し、ほんのちょっとだけ・・・・・・・





To Be Continued Refrain...

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