―――あたし、淋みたいな子の友達になりたい。それで、一緒に友達を作る手伝いがしたい。

 自室のベッドに横になって、恭介は鈴の決意の言葉を思い返す。
「・・・ったく」
 胸が、ざわめく。気持ち悪い。
「何だってんだろうな」
 体を起こす。
 遊びも思いつかない。就職活動も上手くいかない。
 スランプ、という奴なのだろうか。
「・・・漫画でも読むか」
 ひと時でもこの嫌な感じを忘れるために、恭介は無作為に漫画を手に取ろうとした。
 ノック。
「恭介、いる?」
 続いて聞こえてきた声は女子のそれだった。
「ん? ・・・あやか?」
 最近転校してきて、そのままバスターズに加わった少女の名を呼ぶ。
「いるのね、開けるわよ?」
「ああ」
 開いたドアから、あやが顔を出した。そのまま、どこか興奮気味の様子で恭介に問いかける。
「恭介、スクレボの新刊買った!?」
「・・・は?」
 何を言われたのか理解できずに、恭介はまじまじとあやの顔を見る。
「は?って・・・、まさか買ってないの!?」
「いや・・・すまん」
 あやは信じられない物を見る目で恭介を見る。
「だって、昨日出たじゃない!? 身近でスクレボ語れる相手なんてあんただけだからわざわざ来たのに!」
「最近本屋行ってなかったからな・・・」
 恭介は頭を掻いて、笑顔を作る。同時に手も差し出す。
「ってことは、あやは買ったんだよな。貸してくれ!」
「いやよ」
 あっさりとにべもない返答。
「つめてーなぁ」
 出した手が引っ込んだ。
「あー、せっかくこの熱く昂ぶった胸のうちを存分に語れると思ったのに・・・。さっさと買ってきてよね」
「ああ、そうだな・・・」
 恭介は答えながら、とりあえず頭の中で明日の予定を確認する。
「・・・そうだな、って。新刊よ?」
「ああ」
「今から行くもんじゃないの?」
「・・・・・・・・・あー」
 言われてみればそうだ、と恭介は立ち上がる。別に明日じゃなくても、今現在暇なのだし。
「そうだよな。スクレボだもんな・・・。よし、行ってくる」
「行ってらっしゃいー」
 財布を持って出て行く恭介の背中を見送って、あやは首をかしげた。
「あいつ、あんなだっけ?」



「きょうすけお兄ちゃんの様子?」
 淋が言葉と共に投げるボールをミットで受けながら、鈴は頷く。
「そーだ」
「きょうすけお兄ちゃん、何かあったの?」
 淋が首を傾げている。
「何があったというか・・・、あたしにもよくわからん。何となくだ」
 言ってから、淋に向けてまたボールを投げ返す。
「でも私も、最近恭介さんおかしいと思うよ」
 傍でドルジのお腹を撫でていた小毬も、鈴の言葉に同意する。
「さささやあややみゆきが来たあたりからだな」
「えーと、多分三人とも関係ないと思うなぁ」
 苦笑いで、小毬。だが鈴は無駄に自信たっぷりに言い切る。
「いや、きっとささこのせいだ。間違いない」
「ささみお姉ちゃんが、えーと・・・しょかつのこんてい?」
「淋、それは多分、諸悪の根源、だ」
「あ、それだ」
 それから、また淋がボールを鈴に投げる。鈴が受け取る。
 と。
「だ・れ・が、諸悪の根源ですの?」
 唐突に、噂の主が姿を見せた。
「うわっ、さしすせそいそーす!?」
「すでに原型とどめてないじゃ無いですの! 全く、いい加減人の名前ちゃんと呼びなさい、棗鈴!」
 驚いてまた凄い噛み方をした鈴。もう一人の淋はというと。
「こんにちは、さしゃみお姉ちゃ・・・。ごめんなさい・・・」
 こちらも噛んでいた。が、素直に謝ったおかげか、佐々美も苦笑するだけで済ませた。
「・・・同じ名前なのに、淋ちゃんは良い子ですわね・・・。棗さんにも見習って欲しいですわ」
「うっさいぞ」
 憮然とした顔ながら、佐々美に足元に置いていた余りのミットを投げ渡す。
 当たり前のように佐々美も受け取ると、淋も含めて三角形の位置に立った。
 本人曰く、部活後のクールダウンに丁度いいから、ということらしい。
 とはいえ、ちゃんとクールダウンできているのかは疑問が残る。
「で、わたくしを何の諸悪の根源に仕立てようとしてましたの?」
「恭介さんの様子だよ〜」
「全然わたくし関係ないじゃ無いですの・・・」
 小毬から貰った回答に、佐々美はため息。
「いや、わからん。お前の存在に対する無言の突っ込みかもしれん」
「ほほほ、それはむしろあなたの方が可能性が高いのではなくて?」
 当然、といった感じで佐々美を見る鈴。怒りマークでもついてそうな笑顔で鈴を見返す佐々美。
 火花が散ったような感じがした。
 小毬は苦笑い。
「お姉ちゃんもささみお姉ちゃんも、ケンカはダメ」
 淋に窘められて、猫娘二人はとりあえず矛を収める。
 とりあえず落ち着いたのを見て、小毬は先を続けた。
「私も気になって、理樹君にも聞いたんだよ〜」
「そうなのか?」
 鈴は佐々美のミット目掛けて遠慮なしの速球を叩きつけてから、小毬の言葉に返す。
「くっ、相変わらずの剛球ですわね・・・。それで、どうでしたの?」
 淋に向けて柔らかくボールを投げて、佐々美が後を促す。
「うんー・・・。もう少し様子を見よう、って言ってた。相談事があるならちゃんと言ってくれるだろうから、って」
「そうなんだー」
 わかっているのかわかっていないのか、淋が答えながら、鈴へとボールを返した。
 鈴はそれを受け取って、佐々美へ、今度はスライニャー。
「っと!? いきなり変な球投げないで下さる!?」
「やあすまんてがすべった」
「わざとらしい棒読みですわね、この!」
 佐々美から鈴へ、剛球。
「うわっ!? やるな、ささこ」
「ふ、伊達にエース張ってませんわ」
 鈴と佐々美の、キャッチボールにしては異常にハイレベルな投げ合いに、さすがに参加できなくなった淋が小毬の隣にやってくる。
「・・・また始まっちゃった」
「今日はいつもより早かったねぇ」
 佐々美が参加するようになってから、割といつものことだ。
 小毬は「ようしっ」と立ち上がると、淋に笑いかけた。
「じゃあ淋ちゃん、今度は私とやろっか〜、れっつきゃちぼー!」
「うん、れっつきゃちぼー」



「あ、いたいた、理樹君」
 あやに声をかけられて、理樹は一度手を止めた。
「あやさん」
「あ、寮会の仕事か。邪魔しちゃった?」
 廊下のホワイトボードに何か書き込んでいた理樹は、笑って首を横に振った。
「大丈夫。どうしたの?」
「おっけ。ちょっと気になったことがあってさ」
「・・・恭介のことかな?」
 理樹は持っていたプリントに目を落とす。
「まぁ、そうだけど」
 見ているプリントが気になったのか、言いながらあやは理樹の手元を覗き込んだ。
「なになに・・・、遅刻撲滅月間。・・・葉留佳?」
「いやまぁ」
 明言はしないでおく。
「・・・確かに、いい加減見てられないな」
「ん?」
「いや、ちょっとね」
 理樹は途中になっている告知を最後まで書き込んでしまうと、
「ん、よし」
「終わり?」
「うん。ここが最後だからね」
 マーカーにキャップをして、あやに振り返る。
「でも、あやさんが恭介を心配すると意外だな」
「へ? な、何を言い出すのやら。私にとってあいつは仇敵よ、仇敵。向こう側でどれだけ酷い目に会わされたと・・・、って理樹君この辺覚えてないんだっけ」
「覚えてないけど・・・、耳にタコができそうなほど聞かされたよ」
 憮然として言い連ねるあやに苦笑しながら、理樹は続ける。
「いつか倒すと誓った仇敵でも、本調子じゃないのに勝ったって仕方ない、ってとこでしょ」
「さっすが、理樹君わかってる〜。伊達に私のパートナーじゃないわね!」
 嬉しそうに笑うあや。言葉にせずとも理解してくれたことが本当に嬉しいようだ。
 下手に答えると大変なことになりそうな気がして、困ったように笑いながら理樹は廊下の窓から中庭を見下ろした。
「あ、淋ちゃん来てるんだ」
「あ、ほんとだ。私も行ってこようかしら」
「いいんじゃないかな。・・・あーあ、また鈴と笹瀬川さん、暴走してるよ」
「くーっ! 楽しそうじゃない! 行ってくる!!」
 長い髪の毛を翻して、あやは走り去っていく。
 あやはその一瞬一瞬を、ほんとに楽しそうに過ごしていく。
 たぶん、そう感じられる何かが向こう側であったんだろう。
 霞の向こうでおぼろげになっている記憶に、理樹はちょっとだけ罪悪感を抱いた。
「こまりー!! わたしも混ぜてー!!」
「ほわぁ!? あやちゃんいきなり飛びつかないで〜!?」
 中庭から聞こえてきた声に、失笑する。
 それから、先ほど考えたことに、理樹は思いをやった。
「・・・ほんとに、恭介何を悩んでるんだろ・・・」
 頭を掻いて、どうしようか考える。
「どうかしたのかね、理樹君」
 考え込んでいる理樹の耳に、唐突に声が飛び込んできた。
「うわ、来ヶ谷さん」
「ようやく気づいたか。こんなところでぼうっとしていると変な人にみられるぞ」
 確かに、廊下のど真ん中で突っ立っていればそうかもしれない。
「ふむ。中庭の少女達は可愛いな、だがもう冬も近くて厚着なのが勿体無い。夏服の開けた胸元をここから覗きたかったぜファッキン、とか考えていたな?」
「うーん、胸元覗けたとしてもここからじゃ見えないかな、残念ながら」
 適当に肯定する。最近はこの妙なセリフのかわし方も覚えてしまった。
 唯湖はため息ひとつ。
「からかい甲斐のあった頃の理樹君が懐かしいよ」
 それに対しては、理樹にだって一言ある。
「毎日からかわれたら、そりゃ擦れもするよ」
 慣れと擦れは結構紙一重。理樹が最近覚えたことのひとつだったりする。
「小毬君は今もあんなに純粋だというのに」
「だから僕がその分擦れるんじゃないか・・・」
 言ってしまって、理樹はまずい、と口を押さえた。
 案の定、唯湖の目がハンターのそれになっている。失言確定。
「なるほど、つまるところ、理樹君は小毬君の純粋さを守るために自ら余計に汚れたと・・・。ほほう」
「・・・そ、そんなつもりは無いけど・・・?」
「いや、青春はいいことだな、少年」
「ニヤニヤ笑いながら言わないで」
 軽く赤面しながら、理樹はそっぽを向いた。
「はっはっは。では折角だ。おねーさんは中庭の少女たちを汚して遊ぶとしよう」
「って、ちょっと何いう気!?」
 最初の攻めを避けはしたが、結局巻き込まれてしまった。
「ならば少年。白状してもらおうか」
「・・・え?」
「何を考え込んでいたのだね?」
「・・・あー」
 理樹は少し考えてから、
「恭介のこと」
「何だ。理樹君はついにそっち方面にも目覚めたのか?」
「違うよ! っていうか『にも』って何だよ!」
「はっはっは。冗談だ」
「・・・わかった、クドと鈴とあやさんに来ヶ谷さんのこと『ゆいちゃん』って呼ぶように言ってくる」
「待て」
 踵を返そうとしたら全力で肩をつかまれた。
「はぁ。真面目に聞いてよね。来ヶ谷さん」
「仕方ない、心得た」
 微妙に痛み分けらしい。
 理樹は咳払いをしてから、改めて話し始める。
「恭介が何か悩んでるって話」
「ああ、そのことか」
 唯湖は得心したとばかりに頷く。
「そう言うってことは、来ヶ谷さんも気づいてたってこと?」
「というか、あれで気づかれていないと思っている恭介氏がおかしい」
 理樹は微苦笑。確かに、最近は特に様子がおかしい。
「それで、理樹君はどうするつもりなのかね?」
 唯湖の問いに、理樹は頬を掻いて、
「聞いてみるしかないと思う」
「ふむ」
「そうしなきゃ、何も判らないままだしね」
「確かに、な」



 本屋からの帰り道。
 真っ直ぐ帰る気がせずにふらふらと歩き回った果てに、恭介は何となく公園に立ち寄っていた。
 夕暮れの近づく中で、遊んでいた子供たちが徐々に散っていく。
「・・・ふう」
 ため息。
 自分たちにもあんな頃があったな、と感傷に浸ってしまう。
 せっかく買ったスクレボの新刊も、封を開ける気がしない。
「・・・きょうすけお兄ちゃん?」
「ん?」
 ぼーっとしていた恭介に、幼い声がかけられて、彼は足元を見下ろした。
「・・・淋ちゃんじゃないか。今帰りか?」
 こくり、と淋は頷く。
「元気、無い」
「俺か?」
 また、ひとつ頷く。
「そう見えるか?」
「お姉ちゃんたちも言ってた。変だって」
「・・・・・・」
 つい意味を邪推しそうになる。ただでさえ最近ロリだの変態だのあらぬ疑いをかけられているのだから。
 とりあえず、目の前の淋は自分を純粋に心配してくれているらしい。
 恭介はしゃがみこんで目線を合わせると、
「まぁ、俺は大丈夫だ。そのうち元気になるさ」
「ほんとに?」
「ああ。俺はこれでも元気が取り柄なんだぜ?」
「・・・わかった」
 淋が頷いたので恭介は笑って、その頭を軽く撫でてやる。
「ほら、早く帰ったほうがいいぜ。もう日が暮れるの早いからな」
「うん」
 頷いて、淋は踵を返して走っていく。
 それを見送って、恭介は自嘲気味に笑う。
「・・・そのうち、がいつになるかは、わかんねぇけど、な」
 悩みの原因すら、よく把握できていないのだから。
「心配・・・か」
 皆が心配している。
 だが、自分にそんな、心配されるような資格があるのか。
 仲間たちの辛い事、苦しい事、嫌な事、あの世界で暴き立てて。
 目的を達成するためには、倫理だって踏みにじる。
 そう言い続けた挙句、失敗した。
 今、ここでこうしていられるのは自分の計画が成ったからじゃない。
 理樹自身が、掴み取ったからだ。
「・・・俺は、お前たちに心配してもらえるような、そんな人間じゃないんだよ」
 呟いて、恭介は歩いていく。
 夕日の中、ただ、一人で。



 ノックの音。
 作業を中断し、謙吾は自室のドアを見る。
「はーい、暑苦しい筋肉に何か御用ですかー?」
「・・・いや謙吾、ノックしたの僕じゃなかったらどうするのさ」
「ふっ、ノックの音くらい聞き分けられるさっ。入っていいぞ、理樹」
 ドアが開いて、理樹が部屋の中に入ってくる。
「お、真人も一緒だったのか」
「おうよ。・・・って、なんじゃこりゃあ!?」
「うわ、何広げてるのさこれ」
 部屋一杯に何故か妙な布が散らばっている。
「ああ、実はな」
「待て。当ててやるぜ」
 真人が謙吾を止め、腕を組む。
「判ったぜ! 新しい大腿筋用の服を作るつもりだな!?」
「いやどんなのだよそれ」
 理樹が溜まらず突っ込みを入れるが、
「惜しいな! さすがは真人だ!」
「ええ!? 惜しいの!?」
 ネジの外れた謙吾はさらに上を行っていた。
「まぁ、それは冗談としてだ。これは手作りの、リトルバスターズ団旗だ」
「・・・団旗・・・」
 言われてみれば、既にその片鱗があちこちに出来上がっている。
「前から構想はあったのだが、一人では厳しそうでな。だが先日、ついに俺は協力者を得た!」
 拳を固め、夕日に向かって叫びそうな勢いの謙吾である。
「・・・聞かなくても判るけど、誰?」
 頭痛を感じつつ、理樹はとりあえず聞いてみる。が、その瞬間。
「宮沢さん、刺繍糸、持ってきました。・・・あら、直枝さんに井ノ原さん」
「・・・ああ、やっぱな」
 後ろからドアを開いて姿を見せた人物に、真人もため息をつく。
「ああ、お帰り、古式」
「邪魔してるぜ」
 謙吾と真人の言葉に迎えられて、みゆきは一礼する。
「いえ、私のほうこそ。宮沢さん、これはどちらに?」
「いや、すぐ使おう。古式はそっちを担当してくれ」
「はい、わかりました」
「・・・手馴れたコンビネーション」
 どれだけ一緒に作業していたのやら。そして改めて、足元の旗になりかけている布を見る。
 そこで、大変なことに気づいた。
「えええ!? 旗の柄、全部手縫いの刺繍なの!?」
 驚きで呆然とする理樹に対して、みゆきが顔を上げる。
「直枝さん、刺繍は縫い手の魂なのです。安易にミシン等は使えません。まして、アイロンで接着など持っての外です!」
 拳を握られて語られてしまった。
「だ、だめだ、今日の古式さんネジ外れてるモードだ・・・」
「やべぇ、俺の筋肉もついていけねぇ・・・」
 来訪者側は二人して頭を抱える。
 そんな二人を見て、謙吾はふと思い出したように口を開いた。
「そういえばお前達、何か用があって来たんじゃないのか?」
「そうなのですか? 大事な用事でしたら、私は席をはずしますけど」
「いや、大丈夫。というか、むしろ僕らがお邪魔だった気がするんだけど」
 みゆきの気遣いに、理樹は手を振ってそう答える。若干からかう気持ちも交えて。
 が、それに対する反応は、というと。
「それこそ無用だ」
「ええ」
 あっさりと否定する刺繍家・・・もとい、武道家二人。
「ならいいんだけど」
 理樹は頭を掻いて、とりあえず周囲を見渡した。
 未だに理樹と真人が立ちっぱなしだということにようやく気づいて、謙吾は若干慌てた様子でベッド周りを示す。
「ああ、すまん。そこが空いてるからそこに座るといい。手伝ってくれるとなお良いが」
「ごめん、刺繍の心得は無いかな・・・」
「俺もだ。こうチマチマした作業は頭が痛くなるんだよ」
 謙語の示した一角に真人と共に腰を下ろして、
「で、俺達は作業しながら聞いていい話か?」
「・・・うん。それは二人の判断でいいや」
「そうですか。では、ひとまず続きを」
 みゆきは恐ろしい手際で刺繍を進めていく。今やっているのは猫の足の部分だろうか。
 見る間に形作られて、つい理樹も見入りそうになった。
 我に返って、咳払いひとつ。
「恭介の、ことなんだけど」
 謙吾は手を止めた。みゆきも同様。
「少し待て。切りのいいところまで進める」
「同じくです。あと簡単に片づけまでしますから」
「うん、わかった」
 この反応は、どうやら二人とも気になっていたらしい。
 手際良く片付けて作りかけの旗を畳んでしまうと、四人は広くなった部屋の思い思いの場所に腰を下ろした。
「さて、恭介の、ということは、最近のあいつの様子のことか」
「うん」
「あいつは、部屋にいないのか?」
「何か、外泊届け出してるみたい。さっき寮長室行った時に聞いたんだけど」
 理樹はその性格を買われたのか誰かの推薦か、どちらかは不明だが次期寮長に推されている。
 特に断る理由も無いので、理樹もそのまま寮会の手伝い兼引継ぎ作業を続けていた。
「外泊・・・? どこに泊まる気だ?」
「ご実家ではないのですか?」
 みゆきの疑問に、理樹は肩を竦めて答える。
「恭介はあまり実家に帰りたがらないんだ。お盆と正月くらい」
「気持ちはわからんでもないがな」
 謙吾も腕を組んで、考え込んだ。
「だが、あいつのことだ。どうせどこかの橋の下でダンボールかぶって寝るくらいのことはするだろう」
「・・・あー」
 就活で金が無いとか言って歩いて東京に行く男だ。野宿など朝飯前だろう。
「俺もそこは同じ意見だな。あいつの行方は心配したってしょうがねぇ」
 真人も笑いながら言う。それから真剣な顔になって、
「問題は、最近のあいつの様子だ。俺は馬鹿だがそれでもわかるぜ。最近のあいつはおかしい」
 真人の言葉に、その場の全員が頷く。
「ほんとは今日、恭介に直接聞いてみるつもりだったんだ」
「外泊で間を外されたか」
「うん・・・。こっちの考えを読まれたとは思わないけど」
 困ったように言う理樹に、謙吾は頷くと、
「そもそも、最近あいつから遊びの提案を聞いたことが無いからな」
「そう、そこだよ! あいつが大人しいと気持ち悪くて仕方ねぇ!」
「私はまだあまり棗先輩のことは知らないですけど・・・、やはり、様子がおかしいのはわかります。というか」
 みゆきが言いよどんで、他の三人の視線が集まる。
「・・・その、昔の、私みたいです」
「・・・何?」
「周りが見えていないというか、一つのことに捕らわれてしまっている様に見えて・・・」
 みゆきの意見に、男三人は顔を見合わせる。
「皆、心当たりは?」
「すまんが、俺は覚えが無い」
「俺もだ・・・」
 謙吾も真人も首を横に振る。
「・・・やっぱり、直接当たるしかないね」
「そう、だな・・・」



 別に、何か行く当てがあって外泊届けを出したわけじゃない。
 あやに言われて本を買いに出るときに、たまたま外泊届けの用紙が目に入って、出しただけだ。
 強いて理由を挙げるなら、一人になりたかった。それだけかもしれない。
「・・・やっぱ、おかしいわ、俺」
 一人になりたい、など。
 今までこんなことを考えたことは無かったのに。
 当ても無く歩いて、歩きつかれたから夜露を凌げそうなとこで、拾ってきたダンボールを被る。
「・・・ちょっとさみぃ、な」
 10月も半ばだ。それも、無理は無い。
「何やってんだろ、俺」
 形の無いもやもやが、恭介を苛む。
 それに形をつける事が、怖い。
 それに名前を付けてしまえば、今まで積み重ねてきた物が壊れるような、そんな気がした。
「・・・寝るか」
 独り言が多い気がする。
 今日はろくに皆と話さなかった、その反動だろうか。
 甘えているな、と思う。
 都合よく利用して、用が無くなったら省いておいて。
 また、あの悪夢を見るだろう、と。
 恭介は、半ば覚悟しながら、眠りに落ちていく。
















 それは夢の世界なのか、それとも、未だに残る向こう側の残滓なのか。
















 恭介は、廊下の真ん中に立っていた。
 周りには、誰もいない。

――忘れたくなんか、ない・・・! ほんとは絶対、忘れたくないよ・・・!!

 誰かの、声。

――やっと好きだと言えたのです・・・。なのに、無かったことになるのですか・・・!?

 また、誰かの声

――そう定められたことでも・・・、私は、本当はこの気持ち、忘れたくないです・・・。

 続く。

 一歩歩くごとに、聞こえ続ける声。

――忘れられちゃうのかな・・・。そんなの嫌。覚えててほしい。私が死んじゃっても・・・!

――資格なんか無いって判ってる。でも・・・、大切だった。・・・失うんだ、ここで、また。

 ここは、そういう場所なのだ。
 いわば、墓地。
 思いの欠片が寄り集まって生まれてしまった、小さな世界。
 失うことを受け入れながら、失うことへの痛みが、苦しみが、集まって涙を流す、そんな場所。

「・・・それでも俺にはもう、お前らを返してやることは、できない」

 いつも、そう答えないといけない。
 残滓の世界の望みは、それ以外に考えられないから。
 だが、この世界のマスター足りえない恭介には、そんな力など無いのだ。
 この世界を生んだのが、間接的には恭介だとしても。
 だから、問いかける。
 それしかできないから。

「なぁ、・・・お前らは、俺に何を求めてるんだ・・・!?」

 世界は答えない。答えないまま、唐突に手が伸びてくる。
 いくつもの、誰かの手が。
 思いが。





























――――オマエガ、ニクイ・・・!


































「うわああああああああああああああああ!!!」
 叫びと共に、恭介は飛び起きる。
 まだ、夜。
「くそっ、なんて夢だ・・・!」
 言ってから、恭介は額を押さえる。
「いや・・・、夢じゃ、無いのか」
 同じ夢は何度も見てきた。
 それでも、あんな言葉を向けられたのは、初めてだった。
 たまたま、その声が聞こえたのか。
 それとも、自責の念が言わせたのか。
 恭介にはどちらとも言えない。
 だが、その言葉は、恭介の意思を削り取っていく。
「くそっ・・・、俺の覚悟なんて、こんなもんだったのかよ・・・!」
 痛みも苦しみも、罪も罰も、全部ひっくるめて背負っていく、つもりだったのに。
 恭介は膝に頭を埋める。
 ここなら、誰もいないから。
「くっ・・・、ううっ・・・!」
 泣いた。自分の情けなさに。弱い心に。
 泣くことしか、できなかった。




「恭介」
 唐突に、理樹は恭介の部屋を訪れた。
 謙吾の部屋で話し合った翌日のことだ。
「・・・理樹か?」
 帰ってきた恭介は、なんだかどこかやつれて見えた。
「・・・恭介、何かあったの?」
 理樹の言葉に、恭介は自嘲気味に笑う。
「・・・なんでもねぇよ」
 違う、と思った。
 今の恭介の様子は、向こう側の終わりがけの恭介にどこか重なったけど。
 決定的に、何かが違った。
「・・・恭介、何を悩んでるの?」
 恭介は困ったような顔になって、
「大丈夫だ。たいしたことじゃないさ」
 気にするな、と笑う。
 誰が見ても、気にする笑顔で。
 だから理樹は、使わずに済めばいい、そう思っていた手札を、切らなければいけなくなった。
「恭介」
「ん?」
 恭介は理樹を見ない。
 今まで、話しかければ必ず一度は目を向けてくれたのに。
 その一度で、理樹が何を悩んでいるのか、魔法みたいに言い当てていたのに。
 今の恭介は、理樹を見ない。
「・・・勝負、しよう」
「何?」
「コールドゲームの、続きだ」
 だからそのとき、恭介がどんな顔をしたのか、理樹には見えなかった。



 理樹はバッターボックスに立つ。
 マウンドには、恭介。
 あの時とは違う。
 真正面から、理樹は恭介に挑む。
 ルールは単純。二人の一打席勝負。
 負けたほうは、勝ったほうの言うことを何でもひとつ聞くこと。
 仲間達には知らせなかった。
 だが、グラウンドでこんな形で向き合えば嫌でも目に付く。
 時間は無い。
「・・・本気で、俺に勝てると思ってるのか?」
 恭介の声が聞こえてくる。
 理樹は無言だ。
 キャッチャーも審判も不在。
 理樹はただ、真剣に恭介に向き合う。
 諦めたように、恭介はそばのボール入れから、一球取った。
 審判を兼ねるのは恭介だ。
 理樹からは正確にゾーンは見えないから。
 恭介が、投球フォームに入る。
「っ!」
 その球が、理樹の構える横を抜けて行った。
 ど真ん中。文句の無いストライク。
「おいおい、見逃しかよ」
 恭介は茶化すように言う。
 気づかないのか。
 理樹は、バットを握り締める。
 折れてしまうのではないかと、ばかりに。
「・・・それが、恭介の、球?」
「何?」
「今の、今の球が、恭介の・・・本気なの?」
 理樹は、恭介を睨み付ける。
「・・・何を言ってるのかわからんが・・・」
 恭介は、ボールをまたカゴから取って、理樹を振り返る。
「俺を負かして、悩みを聞きだすつもりなんだろ? そんなこと言っている暇があるのか?」
「・・・!」

 これが、恭介。
 こんなのが、恭介。

 理樹は、構えた。
 恭介が再度、投球フォームに入る。
「ふざけないでよ、恭介」
 小さな、声。恭介にはおそらく聞こえていない。
 ただ、ボールが投げ放たれる。それだけだ。
 だから、理樹は叫ぶ。
「こんなのに、負けるかあああああああああ!!」
 そして、甲高い音。
「な・・・」
 驚いた恭介が、頭上を振り仰いだ。
 白球はそのまま、グラウンドの果てへ落ちていく。
 ホームラン。
「・・・参ったな。こうまで完璧に打たれるかよ」
「理樹、恭介!」
 謙吾の声が聞こえてきた。
 理樹はバッターボックスにバットを放り出すと、
「恭介」
 ゆっくりと、うつむいたまま、恭介に歩み寄っていく。
「ああ。言うこと聞くんだったよな。何すればいいんだ?」
 恭介は、笑う。
 その横面に。
 理樹は。



 渾身の力で、拳を叩き込んだ。



「ぐっ!?」
「な!?」
 グラウンドに駆けつけた全員が息を呑む。
 倒れ伏す恭介。
「・・・そんなに、僕らに向き合うのが嫌なら、僕から言ってやるよ、恭介」
「な、何?」
 倒れたまま恭介は、呆けた顔で理樹を見上げる。
「恭介には、リトルバスターズを去ってもらう」
 その場にいた全員が、理樹の言葉を理解できなかった。
「な、何を・・・?」
 意味がわからない。そう言いたげに、恭介が呟いた。
「理樹、お前何言って・・・!」
 鈴が叫んで、飛び出そうとする。
 それを、小毬が止めた。
「こまりちゃん、どうして止めるんだ!?」
「・・・・・・」
 小毬は黙って首を横に振る。
 止めようとした何人かも、それを見て、何もいえなくなる。
 一番に止めるはずの小毬が、何故か何も言わないのだから。
 理樹は、もう恭介を見ない。黙って背を向ける。
「・・・理樹、おい、待てよ!」
 理樹の下した、余りに理不尽とも言える命令。
「勝ったのは僕だ」
「だけどよ、それは・・・!」
 恭介の言葉に、理樹は振り返りもせずに、言う。
「これ以上、失望させないで。恭介」
「・・・っ」
 冷たい声。理樹から聞くとは思わなかった、向けられるとは思わなかった、感情の無い、冷たい声が恭介に叩きつけられる。
「・・・そんなに不服なら、一度だけ再戦を受けるよ。日時はそっちで勝手に指定して」
 言うだけ言って、理樹は歩いていく。
 他の仲間達は、力無くそれを見送る恭介にも、歩き去っていく理樹にも駆け寄れなかった。




「こまりちゃん、どうして、止めたんだ」
 長い間座り込んでいた恭介がゆっくりと立ち上がり、どこかへ歩き去って。
 鈴は、小毬に尋ねる。
「・・・理樹君も、泣いていたから」
「・・・理樹が?」
 小毬は悲しそうに、理樹が去って言ったほうを見る。
「泣いてでも、しなきゃいけないことなんだと、思ったの」
「・・・でも、こんなの、酷いじゃないか」
 鈴もまた、理樹の歩いていった方を見て、それから俯く。
「・・・そこの馬鹿二人。君達は、何も言わないのか?」
 唯湖の言葉に、謙吾と真人はそれぞれ答えを返す。
「俺は理樹が正しいと思っている。一部始終を見ていたわけではないが、な」
「同感だ。あんな恭介、恭介じゃねえや」
「けど、恭介君、相当悩んでたよ? なのに一人にするなんて・・・」
 葉留佳にしてみれば、無理やり放逐するようなやり方は許せないのだろう。
 自分がそんなことをされ続けてきたようなものだから。
 佳奈多ですら、非難の視線で二人の男を見ている。
「・・・差し伸べられた手を拒絶してしまった」
 唐突に、みゆきが口を開いた。
「私も、そうでしたから。目の前にあった救いの手に気づかないまま、絶望に身を任せて」
「みゆきち・・・?」
「救いの手があることは、本人が気づかないといけないんです」
 言って、みゆきは俯く。謙吾がその肩を叩いて、仲間達を振り向いた。
「それに理樹は、俺達に恭介に関わるなとは言わなかった。俺たちが来ていることに気づいていたはずなのにな」
「・・・!」
 俯いていた鈴が顔を上げる。
「思い知らせてやればいい。あいつは一人じゃないのだと」
「・・・できますか?」
 美魚の言葉に、謙吾は短く、
「さあな」
 とだけ、答えた。
「ねぇ、皆」
 小毬が、やがて口を開いた。
「理樹君はね、皆大好きなんだよ・・・。だから」
「こまりちゃん、いい」
 鈴が、それを止めた。
「あたしはあたしのできることをする。そう決めたんだ」
「鈴ちゃん」
「そうね。理樹君も恭介も大概不器用ね」
 あやが髪をかき上げ、
「全くですわね」
 佐々美も腕組みをして、ため息。
「世話の焼ける二人だわ」
 佳奈多も同様。
「みなさん、がんばりましょー!」
 最後に、クドが拳を上げた。
「ああ。あの馬鹿が一人で抱え込んだ罰だ。本来俺が言う言葉ではないが・・・」
 謙吾が全員を振り返り、腕を掲げる。
「ミッション、恭介を立ち直らせるぞ! いいな!」
「はい!」
「・・・っ」
「おうよ!」
「もちろんなのです!」
「任せてっ!」
「うむ、心得た」
「了解です」
「わかりましたわ!」
「仕方ないわね」
「あいつの為って言うのは癪だけど、仕方ないか」
 それぞれなりの返答が帰ってきて、謙吾は頷く。
 次の言葉は、皆の声が重なった。



『ミッション・スタートだ!!』











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