二月も半ば。
お菓子メーカーの策略によって始まったとはいえ、今や完全に日本の特異な文化の一つとして定着してしまった、とある日。
バレンタインデー。その前日である。
バスターズ女性陣は家庭科室を貸しきって、お菓子好き少女、神北小毬の指導の下、チョコレート作りに励んでいた。
こうしてみると、それぞれのチョコ作りの風景にも個性が溢れ出ている。
こういう物が全く不慣れらしい鈴。
色気も何も無い真四角の容器に溶かしたチョコを流し込んでいる。
その隣、佐々美。対照的にそこそこ料理ができる彼女は小粒で纏めてそれぞれに鼻歌交じりにトッピングをしている。
ふと、鈴がそのチョコを見た。
視線に気づいて、佐々美もまた鈴のチョコを見る。
互いに自分のチョコと見比べる。
やがて、佐々美が、ふっ、と鼻で笑った。
途端に鈴の髪の毛が逆立つ。即座に佐々美も臨戦態勢。
が、その二人の間に唐突に何かが突き刺さる。
固まって、ゆっくりとそれを見下ろす。包丁。
戦々恐々と背後を振り向くと、指を滑らせたらしいあやが平謝りしてきた。
鈴と佐々美は突き刺さった包丁に揃って冷や汗を浮かべ、恐々と抜き取ってあやに返却する。
その彼女のチョコはどうやってデザインしたのか、龍の彫刻になっていた。
どうやら大きなブロックを作って包丁で切り出していったらしい。スパイより彫刻家になるべきではないだろうか。
そんな無駄な器用っぷりを発揮しているあやとは対照的に、あちらこちらに溶けたチョコレートを散乱させてしまっているのは、クド。
ボウルの中に残った僅かな量のチョコに愕然として膝を突いてしまっている。
おまけに何事かぶつぶつとチョコの量になぞらえて自虐気味の言葉を口にしている。
そんなクドに小毬が駆け寄って、お菓子の本を見せる。
クドも改めてそれを覗き込んで、小毬が指し示したお菓子を見て、顔を輝かせた。
小毬もにっこりと笑い、自分が持っている材料の一部をクドに渡す。
そんな二人を見て頬を赤らめているのは、言わずと知れた唯湖。
彼女の目の前にはあやとは別の意味で無駄に手の込んだ物品。
広めの容器にチョコを流し込んでキャンバスにして、ナイフで絵を刻みいれた一品。
右下にタイトルが刻まれている。曰く、鳴かぬなら、生やして見せよう、猫の耳。織田信長@猫耳付。
葉留佳はと言うと、大方の予想を裏切り、真面目にチョコシフォンケーキに挑戦中。
姉の佳奈多はなるべく口を挟まないように努力しているようだが、葉留佳の一挙一動が結局気になって落ち着きがない。
と、その佳奈多が湯銭していたチョコが妙なにおいをあげ始めた。
葉留佳に指摘され、慌てて自分のそれを確認するものの、焦げ付いてしまっている。
愕然とした表情になった佳奈多を見て、葉留佳が爆笑。
が、その拍子にスポンジの元をひっくり返してしまい、こちらも唖然。
双子は顔を見合わせ見つめあい、しばらくしてため息をついた後に互いの材料を持ち寄った。
どうやら合作になるようだ。
そんな二人を微笑ましく見守っているのは美魚とみゆき。
その美魚の手元にはシンプルながらしっかりとしたチョコレートが既に出来上がっている。
が、どうやら納得がいっていないようだ。
何故か薄い本をそっと取り出しては見つめ、頭を捻っている。果たしてどう仕上げるつもりなのか。
そしてみゆき。
こちらは極力甘くないように気を使いながら作っているらしい。
味見をしては顔をしかめつつ、それでもなお頷いている。
傍にはカカオ99%とかいうチョコレートの箱。
甘いものがあまり得意ではない謙吾宛てに考えているようだ。
そして、小毬。
皆の作り上げたものにニコニコしたり、困った顔をしたり、時には手伝ったり。
そんなことをやりながらも、しっかりと形を整えている。
ホワイトチョコで文字を入れることも忘れない。
が、どうやら渡す先の少年の名前をうまく書けず、先ほどから四苦八苦している。
おまけに時々鈴やクドから声をかけられて、そちらを見に行っている間に文字が固まりかけ、修正が大変になったり。
が、それでも何度も試みている。
どうやら出来上がりまで、まだ少々かかりそうであった。
そして、当日。
バスターズ男性陣は恭介、謙吾は言うに及ばないほど人気がある。
時々訪れる女子からチョコレートを渡され、謙吾は突っ返す訳にも行かず、困った顔をしながらも受け取っている。
それとは対照的に、恭介はチョコを渡してきた女子に向けて、笑顔とともに礼を言う。
二人のやり取りを見ながら理樹は苦笑。
そんな彼らに、また一人女子生徒が駆け寄ってくる。
また謙吾か恭介が目当てだろうと思ったのか、理樹と真人は道を開けるようによけて。
何故か女子生徒は真人の前で止まった。
彼にラッピングした箱を差し出す。
理樹、謙吾、恭介の三人は思わず硬直。
真人も半ば茫然自失となりながらも、かろうじて受け取って。
女子生徒は真人に礼を言われると、真っ赤になって走り去っていった。
とたんに恭介と謙吾にからかわれる真人。
恭介には肘でつつかれ、謙吾には頭を腕で抱え込まれる。
謙吾や恭介ほどではないが、真人も意外と人気があるらしい。
彼の馬鹿っぷりに救われているのは仲間たちだけではない、ということだろう。
とはいえ、これで理樹だけがこの日まだチョコを貰っていない側になってしまった。
特定の彼女が居る身なので、全く危機感を持っていないようだが。
食堂で女性陣と待ち合わせる。
互いに挨拶を交わして、小毬は理樹にだけ耳打ちする。
それから微笑んで、自分の定席へ。
まずは鈴とクド。二人とも男連中四人にしっかり人数分チョコを渡す。
恭介は感極まって鈴を抱きしめようとして、鈴に蹴り返されたが。
鈴のは不慣れな故の定番。溶かして型に流し込んだチョコレート。
小毬の持っていた猫の型を使った、猫のシルエットのチョコだ。全部黒猫っぽいのはこの際ご愛嬌だろう。
早速食べようとした真人の頭に、鈴のハイキック。
蹴られたことが納得いかないらしい真人に、鈴も髪の毛を逆立てて応酬。
どうやら猫を食べようとしたことに怒っているらしい。
理樹は苦笑し、クドのものを開ける。
こちらはちょっと代わったものを作っている。チョコホットケーキだ。
少し甘そうだが、朝食代わりに丁度よさそうだ。
理樹にお礼を言われ、クドは嬉しそうに笑う。
どうやら男性陣だけでなく、女性陣の朝食までそれらしい。
こちらは所以、友チョコ、という奴だろう。
ひとまず鈴のチョコはカバンに片付け、クド作の朝食兼のチョコホットケーキを全員で頂く。
中々美味しいらしい。真人が瞬く間に食べてしまったのがいい証拠だろう。
食べたりないらしく、何か騒ぎ始めた真人に、唯湖がため息をつきつつ目の前にどん、と置いた。
真人硬直。
何故か考える人のポーズをした真人型のチョコが鎮座していた。
少々呆然とした理樹が我に返って唯湖を見ると、彼女は不敵に笑いながら、恭介型、謙吾型のチョコをそれぞれ恭介、謙吾の前に置いてみせる。
置かれた二人はさすがに引きつった顔になった。
理樹も引きつった笑いを浮かべるが、彼の前に置かれたのは、何故か別のもの。
小毬が真っ赤になって唯湖を見る。つられて理樹まで真っ赤になった。
小毬型のチョコが『わたしを食べて』と看板付で鎮座していた。無駄に器用すぎる。
昨日作っていたはずの織田信長チョコの行方が気になったのか、葉留佳が首を傾げる。
唯湖はふっ、と笑うだけで答えない。全くもって謎である。
美魚だけは唯湖のチョコを見て、非常に悔しそうな顔をしていた。何か不穏な思いつきをしたらしい。
理樹と恭介が寒気でも感じたのか、身を震わせた。
そんな美魚の肩をみゆきがそっと叩き、美魚が振り返る。
硬く握手。それを見た謙吾ががっくりと肩を落とす。
それから、謙吾はみゆきに少し視線を向けてみる。
が、みゆきは微笑んで謙吾が既に貰っている名も知らない女生徒からの包みを指差した。
謙吾、愕然とした顔になった後、しどろもどろに何事か言い連ねる。
そんな謙吾をみゆきは楽しそうに見上げ、何事か一言。
とたんに謙吾は赤面し、腕組みをしてそっぽを向く。
全員、さすがに失笑。
そこまでやりとりをしたところで、理樹が時計に気づいたのか両手を打ち鳴らす。
朝ののんびりした時間は終わり。授業だ。
昼休みになるまでの時間。
謙吾を筆頭に、時折理樹や真人を尋ねて女生徒からのチョコが届きつづける。
真人は戸惑い半分喜び半分で素直に受け取っていたが、理樹と謙吾は同じクラスの恋人の視線が気になって仕方ない。
ちらちらと理樹は小毬を、謙吾はみゆきを伺う。
二人ともにっこり笑顔だ。
だが、逆に戦慄する理樹と謙吾である。
と、彼らの前で真人がまたチョコを貰った。何の躊躇いも無く受け取る真人を見て、理樹と謙吾は揃ってその背中に蹴りを入れる。
真人は謙吾ならともかく、理樹に蹴られたのがかなりショックだったのか、物凄い情けない顔で振り返った。
やがて、何を勘違いしたのか、貰ったチョコの中から無造作にひとつ取り出し、理樹に差し出した。
額に手を当てて思いっきり理樹がため息をつく。
さすがにその行動は見過ごせなかったか、クドが真人の前に立つと、指一本立ててチョコレートに込められた思いについて、懇切丁寧に語り始める。
そんなクドの前に正座してしまった真人と謙吾。
理樹は真人ならともかく、何故謙吾まで正座してしまったのか理解できずに首を捻る。
と、恭介がいつものように窓から降りてきた。
正座してクドのお説教を受けている二人を指差し、理樹を見る。
理樹は黙って首を振った。
恭介は状況がさっぱり理解できないらしく、腕組みをして考え込む。
が、あっさり割り切ってしまった。
と、そんな二人に美魚が近寄ってくる。
丁寧にラッピングした包みをそれぞれに差し出した。
どうやら美魚からのチョコレートらしい。
理樹も恭介も笑顔で礼を言いながら受け取る。
添えられたカードも妙に本格的だ。が、その文字を見て、理樹は失笑した。
理樹の手にあるカードには「For Kyosuke」と簡潔に書かれている。
美魚に言うと、彼女は何食わぬ顔で一言。
その言葉で、理樹と恭介は互いの包みをあっさり交換する。
そんな二人を見て、美魚は何故か残念そうにため息をついた。
ぶつぶつと呟いているの言葉を聞きとめて、理樹と恭介は揃って顔を引きつらせる。
無念そうに去っていく美魚の背中を見送り、二人は揃ってため息。
休み時間はそうして過ぎていく。
時は移って昼休み。
今度の主役は葉留佳&佳奈多の共同作品だ。
でん、とテーブルに鎮座したチョコレートケーキに呆然とする男性陣。
特に甘いものが苦手な謙吾の表情の引きつりっぷりは中々のものだ。
立ち直った恭介はケーキのついた昼食に早速舌鼓を打っている。
女性陣も姉妹の合作を味わっては歓声を上げる。
特に小毬のとろけっぷりはかなりのものだ。
口の端についたチョコクリームを見て、理樹が苦笑しながら吹いてあげる。
みっともないところを見せてしまい、小毬は恥ずかしげに理樹に笑いかけた。
と、そんな二人の間に、どん、とあやが箱を置く。
びっくりしてあやを見る二人。彼らの視線を受けて、あやは不敵な笑みを浮かべると、箱を持ち上げた。
中から大量の破片が転がり落ちた。
凍りつくあや。
何を作っていたのか知っていた小毬他女性陣は、あまりのことに絶句。
佳奈多だけが額に手を当ててため息。
理樹は転がり出たチョコの欠片、といっても軽くチロルチョコ以上の大きさのあるブロック辺ではあるが、それを手にとって、一口。
頷いて微笑みかけると、何故かあやは赤面し奇声を上げて理樹を蹴り飛ばした。
訳がわからず、目を白黒させる理樹。あやの努力がこんな形でも報われて、我が事のように嬉しそうに微笑む小毬。
そんな三人の横で、恭介と葉留佳、鈴がばらばらのチョコでパズルを始めている。
食べ物で遊ぶ彼らに、佐々美が声を上げて注意。
そしていつものように鈴が余計なことを言い、こちらは肉弾戦開始。
収拾がつかなくなりそうになったところで、委員長気質が働いたのか、佳奈多が手を叩いて場を仲裁した。
そして約一名を指差す。
半ホールほど残っていたはずのチョコレートケーキが、何故かきれいさっぱりなくなっていた。
真人が口元にチョコクリームをたっぷりつけた状態で、きょとんとしている。
途端に、またしても喧騒。
一部はノリムネやらエアガンやらを持ち出す始末。
理樹が何とか止めようとするが、小毬が涙目になっているのに気づいた瞬間、封印兵装をあっさり解き放った。
食堂の一角で、食べ物の恨みは本当に怖いという事例を体現するリトルバスターズであった。
そして放課後。
消化授業で暇を持て余していた恭介と合流し、ソフト部との簡易試合をこなし。
グラウンドの整備を終わらせて少し休憩している間に、今度は佐々美が自分の手作りを配っていく。
凝ったデコレーションの施されたチョコレートを見て、思わず感嘆の息をつく理樹。
それに加えて謙吾からも礼を言われた事が効いたのか、得意げに高笑いする。
苦笑する仲間達。鈴だけは不愉快そうだが、事実佐々美のチョコの出来は素晴らしいので何もいえないらしい。
その彼らの前に、みゆきがお茶を置いていく。
全員の視線に微笑んで答え、次いでバレンタインには似つかわしくない煎餅などを添える。
一日甘いもの通しだったことを考えると、この気遣いはかなり嬉しいだろう。
謙吾に至っては感涙しそうである。
そんな謙吾の傍に近寄って、みゆきは小さな包みをひとつ差し出した。
しばらく硬直し、やがて真っ赤になり、ぎこちない動きでそれを受け取った。どうやら不意打ちになったらしい。
恭介が冷やかしの口笛を吹き、謙吾が剥きになって怒る。
小学生のようなやり取りに、理樹や佳奈多、佐々美は頭を抱え、小毬やみゆきは微笑ましく見守る。
葉留佳や唯湖、あや、真人は逆に煽り立て、クドはおろおろとし、鈴と美魚は我関せずの状態。
ひとしきり応酬を繰り返した後、我に返った謙吾は理樹に視線をやった。
理樹は苦笑して小毬を見ると、小毬は恥ずかしそうに笑う。
それを見て理樹は仲間達に肩を竦めて見せ、彼らも仕方ないなと笑う。
煎餅が片付いた頃に、夕食に丁度良い時間になる。
全員で連れ立って食堂へ。思い思いに夕食を注文する。
何気なく唯湖が恭介に貰ったチョコの数を問い、恭介はあっさりとそれに答え、その尋常ならざる数にあやが憎まれ口を叩く。
真人が意外なほど貰っていることに、他クラス組が驚きの声を上げて、その結果真人が芸術的な言いがかりをつける。
予想以上に謙吾が貰っている量にみゆきがため息をつき、謙吾は憮然としながらも小さくなるという器用な態度を取る。
小毬は理樹の貰った量を尋ねて、その数字と内容に、さすがにむっとした顔になる。
が、理樹が何事か小声で言うと、あっさりと機嫌を元に戻した。見ていた鈴が首を傾げ、美魚が微笑む。
そんなやり取りを交わしながら、あらかたの夕食を終えると、小毬とみゆきが一度席を立った。
少し経ってから全員分のマグカップをトレイに乗せて、戻ってくる。
注がれているのはココアだ。どうやら、二人からのチョコレート代わりらしい。
しつこくないくらいの程よい甘さに、ほっと息をつく仲間達。
それから小毬はそっと理樹に近づいて、耳打ちする。
理樹はそれに頷いた。
二人のやり取りに気づかない振りをしながら、恭介が今日は解散すること告げた。
それから少し経ち。
冬の夜の中庭で理樹はコートの襟元を合わせながら待っていた。
その彼のもとへ、ぱたぱたと小毬が駆け寄ってくる。
理樹は笑顔でそれを迎え、小毬もふんわりと笑う。
目的地は屋上。流れ星だ。
規模は不明だが、よく知られている時期のものとは別のしし座流星群があるらしい。
もっとも、別に見れなくても二人には関係なさそうではある。
連れだって夜の校舎を上り、屋上へ出る。
きれいな夜空を見上げ、二人共に感嘆の息を漏らす。
風の避けられる一角で肩を寄せ合い、顔を見合わせて微笑んで。
ようやく、小毬が理樹にチョコレートの包みを差し出した。
待ちかねたように、理樹はそれを受け取って包みを丁寧に剥がす。
現れたのは、丁寧にデコレーションの施された手の込んだチョコレート。
中央にはホワイトチョコでメッセージが記されている。
「To Loved Riki」
メッセージを読んで、理樹は小毬を抱き寄せる。
小毬も抵抗もせずに理樹の肩口に頬を寄せ、幸せそうに微笑んだ。
流れ星、ひとつ。
「・・・お願い事、ひとつ。ずっとずっと、一緒に歩いていけますように」